I was stage gazer

星を追う

再演ミュージカルさよならソルシエを考える

 

再演の配信が始まって2週間近く経とうとするのと、初演も配信が始まって再演を見つつ初演を流してシーンの比較をしつつまたあれこれ考えてみた。とりあえず足りなかったなと思う部分はこれで終わりかな…これだけ書けば満足したはず、多分。

 

stargazer9.hatenadiary.com

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初演はフィンの感情がなかなか見えてこなくて本当に周囲が持て余し気味というか天才の考える事はよく分からない、みたいな感じだった印象があって、原作ではフィンも孤独を感じていた、とかテオに救われた幼少期のエピソードがミュージカルではなかったせいもあって余計にフィンがただふんわりとした印象でテオに"君に何か好きなものを見つけて欲しいな〜"っていう台詞がすごく残酷で、僕に筆を与えてくれたのをはテオだから〜って言うけどただフィンの絵を褒めてくれるみたいな印象にしかならなかったから、教会でのシーンで初めて感情を吐露するフィンに衝撃は受けるけどまたふんわりとしたフィンに戻るから結局ふんわりしているな〜くらいの印象しかなくて。そこ笑うシーンなの?ってとこでニコッとするのが印象的だった。テオが"俺が居て描けないなら〜"って言うところでちょっとニコッとするし"本当のギフトは君だったんじゃないかな〜?"でもまたにっこりして無知ゆえの残酷さみたいなでもそれでも凄く優しくてそれが故にまた残酷だなぁと思っていたんだけど。どこまで弟の真意が伝わっていたのか分からない様な。分かっていたとは思うけどやっぱりふんわりしている。

初演で思ったのはやっぱりテオが格好良くて美しいから色んな人から褒められるし感想を読んでも大体らちさんのファンが増えるよね〜って感じで少し悲しかったというか私は好きな役者さんが好きな作品に出てくれたという事がまず嬉しかったしやっぱり評価されてほしいんだなと思った。W主演(一応)テオが主演の扱い、もちろんテオが語るフィンの話だから中心になるし出番も多いしで、あとやっぱり初演はふわっとしてるからそんなに印象に残らなかったのかな〜っていうのもある。でも私はやっぱり平野くんの演じるフィンとても好きだなと思った。

そのふんわりした感じが原作通りのフィンセントなのだろうなと思ったけどちょっと解釈違いの様な気もしていて、あまりにテオに対する興味がなさそうというか…何考えてるか掴み所がないというか…DVD・ブルーレイでの発売イベントでもフィンについてふんわりした事しか話してくれなかった印象があってやっぱりそうなのか、と思った。

再演したいね〜とか聞くたび初演のチケットの売り方とか捌け具合、イベントに参加した人数を考えても流行りの2.5次元作品にしては人を集められない作品だし再演したいねっていうのもリップサービスなのだろうと思ったしあまり万人受するような作品でない事は知っているし初演も好きは人は好き、だろうと思ったし。(私もその1人である事に違いはないけれど)

まあだから再演決定の報にびっくりしたしやるならやるでイベントのときに告知した方が盛り上がったんじゃないか、と思った。スケジュール的に本決まりじゃなかったのかな。

再演は本当に良かった。これなら再演をやる意味があったと思ったし再演なら堂々と人に勧められるなあと(でも初演のときに私が騒いでるを気にして原作読んで再演見に来てくれた知り合いはだめだったらしいのでやっぱり好みはある)

再演で随分フィンの輪郭がしっかりした、と言われていたのを見かけたけど本当にあのふんわり感はそのまんまなんだけどくっきり影が濃ゆくなった様な気がする。掴めないと思っていたものが掴めるようになったというか。画家達とテオによって語られるフィンの形がくっきりしたみたいな事かもしれない。

とにかく一番好きなのはフィンの美しさ、という話は何度でもしたいんだけど本当に美しい顔をしていた。この美しさって世界が全て美しく見える人の表情なんだよなと思って”世界が全て美しいんだ”に説得力があるフィンだった。この人の隣にいて羨望して嫉妬して諦めて、っていうテオの気持ちがより分かるというかどう頑張っても努力しても手に入らないものを持っている人、の美しさ。その美しさに怒りという感情を乗せた時の変化の激しさもまた際立って良かった。

初演のふんわり感からの教会のシーンで感情を露わにするところも大分ショックなんだけど、そんな事思ってるなんて知らなかった、のショック感。でも再演は至る所でテオを心配している本当に"お兄ちゃんらしさ"を見せてくるというか、フィンは人の感情というか特に悪意とかに鈍感なんじゃないかと思うんだけどテオの気持ちだけには寄り添っていてあげようとする、寄り添っていたかったフィンなのかなと思った。それでもテオの気持ちを分かってないところはたくさんあるけど。だからこそ"手を"がよりテオを想うフィンの感情が増しててとても良かった…。展開も結末も全て分かっているのに公演を見るたび毎に毎回違う色んな感情を受けてしまって泣いてしまった。初演はひたすらテオに感情移入していた様な気がするけど再演はフィンの愛情に泣いた、というかテオはどれだけ自分がフィンに愛されていたか知らなくてずっと我儘を言う子供みたいな事を言っているな、と思ってしまった。圧倒的なお兄ちゃん。

教会のシーンで何を言われても必死に否定しようとフィンが一番ショックを受けるのが”兄さんの弟になんか生まれなければ良かった”じゃないかと思っているんだけどテオはこの言葉はどれくらい深くフィンの心を傷つけるのか想像できないだろうなって思うんだけど、テオは生まれた時からフィンがいる世界しか知らないけどフィンはテオの居ない世界を知っていて、この弟が生まれて来てくれた事で自分がどんなに救われたかってテオは知らないから軽々しく言えちゃうんだろうなと思って。テオに銃を突きつけた時に初演は汗をかいて必死にこの状況を変えようとしているように見えて、再演はすごく泣きそうな表情になっていて、哀しくてしょうがないって泣くのを我慢している子供みたいだった。再演の表情がとても好きなんだけど怒りというより哀しみ、なのが。耐え難い事実を突きつけられた時の哀しさ。”怒り”はただ単純な怒りではなくて哀しみとかも含んでいるような気がして。まさに激情なんだけど、激しい感情。

テオがフィンに怒りを覚えさせる事はフィンの持つ美しさにひとつ濁った感情を加えてしまう様な行為なんじゃないかと思って居たんだけど怒りの感情を覚えて初めて表現できる事がある、というかやっぱり美しさだけでは足りないのかなとか。絵画を見る人は美しさだけを求めているのではない、というかもっと人の感情を引きおこして惹きつける為には美しいだけではだめ、とか。

実際史実の方と擦り合わせるとパリ時代以降にフィンセントの絵が変化したのか気になる。史実に詳しくはないからほんのりとした興味程度だけど。

その美しさと同時に狂気も増していて虚構のフィンセントの時の”僕なんかうまれてこなければよかった”とか”やっぱり僕はすごいんだぁ”の時の目がとても怖かったし、虚構のフィンセントの時のゴーギャンを見る目が本当に狂人の目をしていて美しいなと思って見ていた人があんな表情を見せる事に恐怖を覚えて。それは演技の、演じ分けという点では凄いんだけど本当に怖かった…。あと爪をがりって噛む演出も加わっていて爪を噛む音が聞こえるし孤独なフィンセントが抱える闇をさらに増幅させていて…役者さんって凄い(結論)

再演を初めて見た時に本当に解釈ががらっと変わっているなと思ったんだけど多分前のままそっくり演じてくれてもそれなりに満足していたかもしれないのに、と思ってしまうあたり私は甘い客だなぁと思う。期待出来ないかもなと思ってた事を反省したくなった。

 関わった人たちに愛されている作品で本当に良かったなってまた改めて思ったし、またおかえり!って言える機会があればいいな!

またおかえりソルシエ出来ます様に!