I was stage gazer

星を追う

bare

再演〜の記事でも触れた『bare』についてもうちょっと

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この夏散々RENTを見ていてちょこちょこbareの事を思い出したりもしていてまた改めて見たいなと思い出している…RENTは自分を出せって言われて演出を受けるらしいけどbareも自分をさらけ出したいというお話なので思い出すのかな…

ストーリーの説明がうまくできないけどこんな感じ

カトリックの全寮制の学校で、同性愛と信仰の狭間で心を揺らす生徒を主軸に、どうしたら「bare」(心をさらけ出す、自分の心に正直に生きる)になれるかとまどう生徒たちの物語。

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上のあらすじで書かれてるのはピーターという子の事だけど(2016年上演のbareでは田村良太さん橋本真一さんのWキャスト)この作品は思春期の少年少女たちの群像劇でもあるから誰に感情移入するかでまた変わってくるんだけどあと自分が誰の立場でどうしてあげたいか、この子達をどうしたら救い出してあげられるかみたいな事もすごく考えさせられる。思春期を越えた者として、大人としての視点を持って見られるのいい事だ…アメリカでは学校での上演も多いらしくて実際に思春期にこの作品を見てたらすごく衝撃的だと思うし受け止められるかは分からないけどどう思うかどう見るか見てみたかったなという気もする。

”全寮制のカトリック”の学校が舞台で”信仰”についての話も結構多くてそこはちょっと日本人には理解が難しかった…多分そう簡単に抗えるものじゃないんだな宗教って難しいなと思ってしまった…

ピーターと”母親”、直接は出てこないけれどすごく威圧感だけを感じるジェイソンと”父親”の関係とかもうひたすらに苦しくて逃げちゃってもいいのに、ってところから逃げられなくて八方塞がりになるところにもどかしさを感じるけどそこがどうしようもなく”子供”で”赦す”事が出来ないのも本当に子供…”正しさ”だけを与えらえれて正しさだけを求め続けられる、そこから逃げる事が許されない事が本当に辛かった…

1幕見て2幕を見る自信がないと思った作品は初めてだし見終わった後にしんどすぎてもうどうしていいのか分からないってなるくらい最後まで重い作品ではあるけどピーターとジェイソンがいちゃいちゃしまくるⅠ幕冒頭が本当可愛い…カップル可愛い…

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演出の原田さんに母乳が出そうと言われたしんピー(橋本ピーター)はすごく美しい子(見た目の話ではなく)で本当に強い美しさのある子だった2014年からのたむピ(田村ピーター)はめちゃくちゃ強いピーターだった…たむぴは自分の中に信じるものがあるからあんなに強いのではという信仰が外ではなく内にあるピーターだなという印象だったんだけど橋本くんって若手俳優()なのによくこんな作品に出たな!?と思う本当にすごい…

いつかまた上演があったら見てくださいというだけの記事です

あと曲が格好いい…ロックミュージカルっていいね!好きだ!

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動画がまるっと上がっていたりするので英語が分かる人はこれで見るのも悪くないかと…結構いろんなバージョンがあって高校生の子たちが演じてるっぽいのもある。

 

 2016年版を見た当時の感想を発掘したけど長いうえにストーリーの流れが分かりづらいけど全部ネタバレしてる。

 

7/9 マチネ・7/10マチネ

物語を中から見てしまうとつらくてどうして罪を背負わねばならないのか、誰かを愛することが罪なのか。と考えてしまっって、誰も悪くないのに悲しい結果を招くことになてしまって、どこかで救う、救われる手立てはなかったのかなと思ってしまう。
クリスチャンではないし同性愛が十字架を背負うほどの罪という感覚はわからないけれどピーターがその信仰ゆえに苦しんで、神父がジェイソンからの告白を受けたときにその立場ゆえにああいう態度を取るしかなかった、どうにも八方塞りで、誰も悪くないのに誰も救われない救えないと思ってしまってつらくなってしまった。隠すだけではだめだ、知ってもらわないといけないピーターと、現実はファンタジーじゃない、世界が変わるのを待とうっていうジェイソン。どうしても相容れなくてどっちの気持ちも分かるなって思うし、ピーターはジェイソンを待ってあげられなかったし、ジェイソンはピーターを分かってあげられなかった。

世界がもう少し優しくあってほしいと願わずには居られなかった。周りを無理解だと思ってるのもそれはジェイソンの中でだけの事かも知れないけれど。誰かの気持ちをまるっと理解は出来ないけどみんなの気持ちを少しずつ理解出来るから余計にその幼さとかその信仰故に”分かってくれない” ”救われない” というすれ違いが生まれるのがどうにも辛い。お互いに分かり合えない、みんな子供で自分の事でいっぱいいっぱいでわかってもらいたい、わかってあげられない幼さを感じてどうしようもなくもどかしく辛い。みんなそれぞれに誰もわかってくれないという悩みを抱えていてどうしようなもく世界の狭さを感じてでもその狭い世界しかない、その中でしか生きられない抱えていくしかない息苦しさを感じる。

誰も悪くないしそれぞれの正しさがあるしそれぞれに罪がある。そしてこれからみんな十字架を背負って罪を背負って生きていくんだな。それでも前を向いて生きていかないといけないことは辛いけれど希望なのかなと。

どうしても暗い部分に目が行きがちだけどこの物語を外から見ると所詮作り事だし、実際にジェイソンが死ぬのもフィクションの世界のお話で、でもこの物語を見ることによって見た人の世界は変わるかもしれないしこの世界のどこかで似たような事が起きていると想像できるようになるかもしれない、それだけで世界は変わる、変えられると思うとすごく優しい物語だなと思った。世界は想像力の分だけ広がるという言葉があるけどまさにその通りだなと思うし、その想像力の翼を与えてくれる一端になるのではとこの作品を通して少しでも世界が変えられるならそれはそれで良い事だと思うし、アメリカでは学校とかで上演されているという話を聞いてなるほどなと思った。
もしかして自分の周りにピーターが、ジェイソンがアイヴィが・・・と想像出来るようになるだけでそれはとても優しい世界になるかもしれないなーと。

(さらに雑感 ピーター・ジェイソンあたりを中心に)
とにかく辛くてしょうがなくて1回目見たときは1幕終わりの休憩で頭を抱えて2幕見られるのかどうかと心配で最後まで見てもやっぱり辛かった。

ジェイソンがとにかく逃げたいのもよくわかるし、ピーターは待ち続けるだけでは何も変える事が出来ない事を知ってて向き合うことを選んだのかなと、それが罪であっても罪を、十字架を背負っていく覚悟。

ピーターにその覚悟があるのは勿論ジェイソンを愛しているから、ジェイソンと一緒に居たいからなんだけどその愛だけで生きていける覚悟があるのが強い。

ピーターは愛されてる事にすごく自覚的というか、愛されて育って来てママ(クレア)に対する強い信頼関係があるんだなって、愛されて育ってきた子は強い。

ピーターの正しさは自分の中にあってそれが強い、というか信念になっているのかと、多分正しくなくてもいい、罪を背負ってもこの人を愛したいという感覚なんだろうと思うけど。この中に罪人がいる!同性愛を許さない、罪人として掲げあげられるアレ(十字架)、ウェディングベルで結局タキシードを剥ぎ取られてしまうのか結局は悪夢でしかない、彼を地獄に道連れにするのかというのも…ピーターは強いなぁって思うんだけどその強さはジェイソンとって突きつけられてしまうと重いものでしかなくてどうにも分かり合えない2人…2人で逃げように1度目は少し嬉しそうなそんな事は出来ないよってちょっと微笑むような感じの表情を見せるのに2度目の2人で逃げようはまだこの後に及んでそんな事言うの?って感じなのがとても辛く…個人的にはここで橋本ピーターがシャッター降ろしてしまった様な感じがして、それまでちょっと幼さがあってわがまま言うみたいにじゃれてたのに冷水ぶっかけたみたいな印象を持って作中で大人になるピーターというか、育つピーターだなという印象を受けた。
田村ピーターは事前に色々話を伺って多分ものすごく強いのでは?と思っていたらすごく真摯に訴えかけるピーターでなんで?どうして?って訴えかける姿が物凄く強くてジェイソンと分かりあいたいんだなって一方的な押し付けじゃなくて本当に分かってほしいと思っている姿がとても印象的だった。
ジェイソンが救いを求めて、正しい事は救いだと思ってアイヴィに縋ってしまうのはジェイソンの中に正しさがなくてジェイソンは押し付けられた”正しさ”を自分の中の正しさだと思ってしまっているから、で正しさと自分の心が相容れない事に気づいてアイヴィを愛することは正しい事だけど愛してはいないってそこで正しさだけを選べるわけじゃないってなるのが本当に辛くて、アイヴィは何をもってしってジェイソンを好きになったのか、マットのアイヴィに対する気持ちとかを考えてどうにもうまくいかない。ジェイソンはそんなに信仰心に厚いタイプではないのかな?と思うけれど(礼拝のシーンに居なかったり)それでも八方塞がり(ピーターと別れる、アイヴィが妊娠する)の時に神に救いを求めるのが辛いし、ジェイソンの望む様な答えを与える神は居なかった(どんな救いを求めていたのか結局分からなかったけど)ピーターの何度も救おうとした、もわかるけど結局ジェイソンにとってそれは救いではないんだよなと…ジェイソンは自分自身でどうにかするしかなかった問題の解決を外に求めてしまったのが1番問題なのかなと、ジェイソンの問題は家族との関係だった気がするし、ピーターとの関係がなくても結局潰れてしまっていた様な気がする。
本当の自分を否定して誰かの(多分特に父親の)望む様な姿を演じるしかなかった、ジェイソンは愛されない事が認められない事が怖かったと思うんだけどそれは特に親からどうしたら愛されるか?を考えてからだと思っていて、ジェイソン・ナディアの双子が片方は親の望む様に自分を殺して愛されて(?)片方は愛されていない事が分かっていて卑屈になって自己否定をするしかなくてあの兄妹には愛を知る事で救われて欲しかったし、2人でかばい合うしか慰め合うだけでなくて強くなって欲しかったなぁ・・・と。ジェイソンの愛はピーターに勇気を与えてくれたけれど、ピーターを愛するだけでは強くなれなかったジェイソンが本当に弱くて脆くてその弱さは理解出来るしとても好きなところではあるけど。結局のところどうすれば救われるのか、という事について悶々と考えるしかない。ピーターは己を罪を抱えて生きていけそうな、でもお葬式の暗示はなんだったのかと考えるとこの先の未来に希望があることを願うしかないお話だった。

岡田ジェイソンしか拝見できなかったのだけど神父に懺悔した後のあの表情とか、薬を飲む前のもう死んでいる様な表情とかがすごく良くてどうにもジェイソンを好きにならずにはいられなかった。あの弱さ。大変良いものを見た。もう生きてはいられないみたいな絶望の表情とても好き。本当の絶望。

ナディアは両ナディア拝見して、あべナディアは妹ちゃんって感じしてアイヴィに対する嫉妬とかも子供っぽくて可愛いな〜ってなるのに対してゆうナディアはジェイソンに対してちょっと大人っぽいな?という感じがしてちょっとお姉さんぽかった。ゆうナディアのパパの秘書からもらったイヤリング小さすぎると言いつつつけてるところとかアイヴィのクローゼット荒らしすぎてむしろ首についたままなのに全力で否定するところがとても好き