I was stage gazer

星を追う

アダムスファミリーについて

KAAT公演ぶりのアダムスファミリー大阪公演初日をマチネ・ソワレで観てきました。改めて見て色々考えた事を書いておく。ハッピーなお話で清々しく楽しかったな〜って帰れるお芝居ではあるんだけどひとつひとつの台詞に実はハッとさせられる事が多かったなぁって改めて見て気づいたり、"家族について"だったりそれこそ"愛"についてだったりあれこれと考えてしまった。

 

"普通"のバイネッケ家

まず"普通"っていう概念がなんなのって話だけど標準的な家族の幸せを描こうとしてちっとも幸せじゃなかった、ってなるのがこの家族だと思っているんだけどアリスは結婚を待ち、妊娠を待ち、夫の帰りを待つ、(ルーカスは)私が育てたんです!と言うけど普通というか標準的な幸せを求め続けてちっとも幸せじゃなかったって話なのかなって思ったり。普通は幸せじゃないし幸せは"普通"じゃなくても良いとか。普通を求めるから幸せじゃなくなってしまうんじゃないかみたいな。普通じゃない家族を知って普通じゃなくてもいい幸せを知ったんじゃないかなと思う。普通である事が幸せじゃなくて幸せは幸せだと思える事が幸せだ、みたいな

 

ウェンズデーの結婚

恋をして浮かれポンチ(失礼)だけど結婚に対して迷いがあるウェンズデーちゃん、"祝福されて結婚したい"は家族に背中を押してもらいたい気持ちもあったのかなって、ルーカスの事は好きで浮かれているけれど"結婚"となると話は別で指輪を嵌められないのも迷う気持ち故なのでは?と思うし隠し事をされて怒るママに対して反発する気持ちから駆け落ちしようとするけどあくまで"衝動的"で反発な気持ちが強く出ただけじゃないかなって精神分析はやめて!って言うけどそこで本当にこれで良いの?って尋ねてくれるルーカスは良い子だし本当に良いひとを捕まえたな!って言いたくなる。ルーカスはウェンズデーちゃんの迷う気持ちを察していたんだな〜そこで突っ走って駆け落ちしよう!って言わないところにウェンズデーちゃんはイライラしちゃうけど本当に良いカップルだなと思います幸せになってくれ

 

アダムス家とバイネッケ家

お互いがお互いに合わせようとしてはいるけどハナから分かり合えない"普通"と"常識的じゃない"としてお互いにレッテルを貼って分かり合おうとしないから分かり合えないんじゃないかって。普通という決めつけ(結局何が普通なのかってなるけど)"常識的"であるべきだと囚われている事とか。相手の事を決めつけている云々はまあどんな関係でもそうだなって思わせられるところもあり結局分かり合えない事もあるんだけどアダムスファミリーはそこが丸く収まるから本当に素敵なファンタジーなんだよなという気がするし"フィクション"であるが故に顧みる事も多いという気づき。

 

劇中にやたらと”死”のワードが出てくる。死は近くにあるとか、ウェンズデーちゃんは死んだ貴方も好きだからとルーカスに言う、アダムスファミリーは死んでてても生きてても家族は家族だという。メメント・モリだなと思うんだけど”死”について近くにあっても積極的に触れようとしない話題だと思っていてアダムスファミリーの死生観みたいな事なのか、”お化け家族”だからか。ウェンズデーちゃんはルーカスに向かってボウガンの矢を向けて”覚悟”を試そうとして死んだ貴方も好きだから、っていうんだけど結局貴方を殺しちゃうところだった!ってやっぱり生きてるルーカスが好きなんじゃないかとかルーカスは死んだとしても最後に

見たのは君だって事になるっていう相変わらずの浮かれポンチだし、愛を証明するために命を掛けてくれた事に対してウェンズデーちゃんはルーカスと結婚する意思を固めるんだけど”愛”とは相手のために命を投げ出せる事でもあるのかなと思うと愛と死の表裏一体感が面白いな〜とか。あと死者の祭りとかもあるし冥婚という文化はとか関係ない話

全然関係ないけど愛と死といえばエリザの愛と死の輪舞曲なのでやっぱり欧米の死生観において愛と死というのは何か決まり文句ってなっているのか?教会で誓う結婚の言葉も死が2人を分かつまで、で愛を引き離すのが”死”だけだという事になっている様な。

ルーカスもウェンズデーちゃんのために命を失っても惜しくないと思えた時にまた改めてウェンズデーちゃんへの愛を実感するのかなとか。その一瞬、命を失っても構わないと思えた、この命が失われてしまう事を怖いと思った、事でお互いがお互いへの愛を確認し合うとか

 

色々と印象的な台詞が多くてふっと引っかかるとそれについてじっと考えたくなる様な普通にただ楽しめるお芝居でもあるんだけど愛について、死について、人との関係について、家族について考えてみたくなるお話だったなと改めて思ったというアダムスファミリーについての個人的なメモ。