I was stage gazer

星を追う

ぐるぐるBADDY

BADDYについて色々思った事、考えた事など。

最後にBADDYを見てから1ヶ月近く経つけれどあれこれの供給によってBADDYとは…みたいに実際見ている時より考える事が多くて単純に面白い!って脳直でBADDY!!BADDY!!って連呼したくなる単純な楽しさもありつつあれもしかしてあのシーンよく見ると?もしかしてこういう意味があるの?とじっくり考えてみたい事が多いのもこの作品の魅力かなと思っていてどこまでも楽しいのはすごく自分の好みにはまるからだなと思うのでとにかく楽しいBADDY楽しいあくまで”ショー”なんだと思いつつやっぱりお芝居みたいにいろいろ考えてしまうBADDY大好き!

 

性質=名前?

みんな名前が対になっているのが可愛い!グッディ・バッディ、ホット・クール、スパイシー・ファニー、ほかにカインド・ハッピーちゃんがいるらしい(これは対ではないけど)。そしてスイートハートとポッキー。みんなそれぞれ名前の通りの性格っぽくて可愛い!スパファニはバッディの膝枕権を競っているけど今のところファニーちゃん率が高い様な気がする。スパイシーちゃんはちょっとヤキモチ焼きっぽい。

ホット・クールさんのシンメ感は本当に堪らない…クールさんの王女との恋愛模様が展開されている側でホットさんは女性を弄んで捨てたり、クールさんを何してんだよ?訝しがってるのがとても良き…ここも"Buddy"なのが最高…(パスポート偽造でだいたい不真面目なホットさんとめちゃくちゃ几帳面なクールさんが組んでお仕事してるの見たい)

バッディのBuddyがスイートハート、グッディのBuddyがポッキーなのもグッディ・バッディの関係せいなのかな…?正反対の性質を持つもの同士と類似する性質を持つものの"Buddy"、バッディから見た”スイートハート”という存在かと思いきやお菓子みたいな名前だな〜と思うとやっぱりバッディに対してのスイートハート、グッディに対してのポッキーが対になる部分なのかなと…(スイートハート自体が恋人への愛称だけれども)

ピースフルプラネットの住人と月のバッディたちがちょうど背中合わせの関係になっているとそれはそれでとても面白いなーと思うけどそこまでくっきり表と裏みたいな関係性になっているのか…(考えすぎの可能性)

ポッキー | 【公式】グリコ

>>プリッツにチョコレートをかけ、手をよごさない「持つところがある」ポッキー

どうでも良いけどポッキーのイメージキャラクターがLDH系の人たちでポッキーの中の人はバーバリアン(LDH系の何かをイメージしているはず)と思ってわざとかなみたいな気持ちに

 

行き着く先は”天国”

冒頭のピースフルプラネットの生活を歌っているところで”人生の目標、それは天国に行く事”の歌詞があるようにピースフルプラネットには”天国”の概念が存在していて、バッディも”天国なんて〜行きたくない〜バアさんたち(ジイさんたち)の行くところだ〜ダサすぎる”っていう歌詞があるけどピースフルプラネットには寿命以外の死因がない…?バッディチームも悪事はするけど殺人とかそこまでの事はしなさそうだし、あまりにも平和ボケしたピースフルプラネットの世界には病気も存在しないのかもしれない(喫煙・飲酒だけでなく宗教戦争、受験戦争も核家族も禁止されている世界なので)

でもパレードは全員”天国”にいて羽根を背負ってるのが謎で、(宝塚のパレードしては不思議じゃないし、羽根を背負う必然性としても不思議じゃない)バッディは望まずにして天国に来てしまった、善行をしたものがだけが行き着く場所じゃなくて全員が行く場所=天国と捉えればいいのか、”天国”だと思っているだけで”天国ではない場所なのかなと…善も悪もない良い事も悪い事も認めて共存できる場所みたいな”概念”としての”天国”ピースフルプラネットが本当の意味での”平和”な世界になったのがあのパレードでの世界なのかな〜と思ったりもしくは悪い事をしたら”地獄”に墜ちるという認識自体がそもそも間違っているというか”地獄”なんて存在しないから死ねば天国に行く世界なのか、悪い事をしたら地獄に墜ちるというけれど善悪の判断なんて人間の裁量によるものだから何が”悪い事”なのかという世界なのかと思ったり、宇宙一悪党なのも天国では関係のない事だったりとか。

 

人生

BADDYを見ていて思うのはそれぞれのキャラクターの成長を通して見るとまるで人生のようだなと思えてきて、そして最後に行き着く先が”死”のような。

王子と王女で描かれる”幼児期”、悪い事は何も知らない、グッディが初めてバッディに惹かれる初めての恋(クールさんと王女の出会いもあるし)ポッキーが悪い事を覚える、グッディが初めて怒りを覚える、バッディたちに出会った事によってピースフルプラネットの住人たちが生の感情を覚えていく、というかどんどん”人間”らしく”自分”らしくなっていく様な話だなーと思っていてグッディの怒りのロケットに”自我”の芽生えみたいな事を感じてしまう。わたし、生きてる!と怒りを通して生を実感するのとか、ネガティブな感情を持つ事を恐れてはいけないとか、排除しなくてもいいとか、それが本当の正直な自分のあり方とか、そういう事についてぐっと惹かれてしまう。

 

個性 

キャラクターの個性というか作り込みが逸脱だなと思ってメインのキャラクターたちはもちろんみんな各々見せ場をしっかり持っていてメインのシーンを見ているとうっかり見逃したー!というところがたくさんあって基本設定はアテガキなんだろうなと思いつつアテガキよりももっと本人に近いところが出ているのかなと思ったり、アテガキは”パブリックイメージ”を脚本家・演出家が観客側が共有できるイメージとして提示するものだと思っているけれど、BADDYを見ているとアテガキよりももっと本人らしさを引き出しているのかなーとイメージを当てているのではなく”個性”とか”魅力”をどう引き出せるか、個々でどうやって見せるのか、演出として与えられる部分よりも1人1人がすごく考えているんだろうなーと思えて、そういうところがすごく魅力的に見える。それも全部演出です!だったら驚きだけど、お芝居ほとがっちがちな演出で固めてない気がして、演じる側でわりと自由に作ってるのかなと思ってる。

お芝居仕立てのショーではあるけれどショーとしての個人個人の作り込みによる本人らしさもちゃんとあるのかなと思えるところが格好いい。

タカラヅカは男役”らしさ”とか娘役”らしさ”みたいな与えられた役割を全うするというのも魅力で、そこもとても大事なんだろうけどBADDYに関してはそこの”らしさ”よりももっと本人”らしさ”が出ているのかなというのが本当に好き。娘役さんが格好良かったり、男役さんだけどただ格好いいだけじゃなかったりちょっとお茶目だったり可愛かったりというのが何より好きで、そこに”自分らしく”いていいじゃんという励まされる様な気持ちを感じて見れば見るほど元気もらえるのかなと思っている。

 

”らしさ”

バッディが名前の通りにBADな人間で悪事を犯す事を求められたり自分のアイデンティティを悪事を犯す事であったり"Be Free!"でやりたい事をやっているはずなのに”らしく”ある事を求められる事(地球に来てから変わってしまった、ヤキが回ってしまったと言われる事にショックを受ける)に皮肉が利いてるなとちょっと思ってしまって、誰かによって自分の価値観が変わったり変えられてしまう事もその人らしさなのかなと思うので(グッディ・ポッキーがパレードで歌う歌詞だったり、善行をするようになるスイートハートとか)最後まで染まらずにいようとするのもバッディだな〜と思いつつ天国はなんで禁煙なんだろうか…善も悪も受け入れたグッディなんだからと思うとあそこで”禁煙よ〜”っていう台詞は…?

 

”良い”と思われるものだけど尊重して”悪”と判断されるものを禁止するなんてつまらないよね〜、”良い子”でいたいけど”悪い事”がしたいと思う気持ちもあるよね〜みたいなすごく単純なところから”良い事”、”悪い事”の善悪の判断って誰がどうやって決めた事なのかと自分の頭で考えてみる事、既成概念を疑ってみよう!みたいな事を考えさえられるな〜と思うけどショーとしてはがっちり”タカラヅカ”の形式を踏まえているのがとても楽しい。型破りな様でいてすごく型を踏襲しているというか枠の中にいるのにすごく自由にはみ出している様に見える事とか。

ショーなんだからここまで考えてみる必要ないって、頭のネジいっぽんぶっ飛ばしてみるくらいがちょうどいいって気持ちとでもやっぱり張り巡らされた小ネタを隅から隅まで拾いたいみたいな矛盾する気持ちが芽生える事がこのショーの醍醐味というか本質的な部分なんじゃないかと…矛盾する人間のあり方…ここまでショーにはまった事がないので本当に初めて感じる楽しさですごく新鮮で楽しい!元気でる!

東京でもBADDY!!!!!!!するので早く悪い事がしたい