I was stage gazer

星を追う

文劇喫茶それから

5/13 マチネ・ソワレ 俳優座劇場

始まる前から色々あってどうなんだろうなと思って、幕明けてからの評判が良くてちょっと期待していいのかな?と思ったけど実際見たらうん??って感じだった。

 

あんまり好意的な感想ではない。この作品を面白く見るためには私の様な鑑賞の仕方ではだめだったんだろうなと思う、何も考えないで楽しい!って言う事ばっかりじゃないから"楽しみ方"を知る事も大事だと思う。

 

多分1番は違和感を感じる事にあるんだろうなあの違和感。あの演出に演技が合わないのかなと思ったけど。演技が過剰に見える、と思って何か不自然の様な。椿が出てくるのは原作で椿が落ちる音を〜みたいなのがあるけど舞台では?と私は思わずにいられなかった。良く匂い嗅いでるな〜くらいにしか…椿をばさっと捨てるの印象的だったけど。それよりも佐川のお嬢さんから鈴蘭を受け取ってそれを捨てて百合をいける、のが、すっぱりと他の女を捨てて三千代を取るって言う意思表示のような感じがした、あと百合は香りが強いからその香りに負けてしまう飲まれてしまってっている様な印象も受けて、百合はとても印象に残った。

代助は割とナルシストみたいなイメージがあるしその通りだから鏡が置いてあるんだと思うんだけど、その鏡を使うのが序盤くらいだけだったかな?でも上手から見ると下手を向いてる時の表情が鏡に映るのが良かった。何で姿見1つ、鏡台2つなんだろう?と思ったけどその使い方のためなのか?と思ったらいい使い方だなと思う。引き出しが必要だったかもしれないけど引き出し

それからのお話自体が再構成されていてこのやり取りがあってここに繋がる、みたいなところが入れ替わってた気がするだからお話の進み方にもやや違和感があったりしたけどあと三千代と代助中心に話を進めるあまりに他の人との関係性が見えてこない。代助にとって"父"との関係って結構大きいと思ってたんだけど。あと三千代の兄とか。

あと原作はそれからどうなる?って終わり方な気がするけど舞台でははっきり代助が狂った!みたいなら終わり方でおおっ?ってなったそれっぽい描写は原作にもあるけどあれほどでは…ないのかなって…あんなに騒がしい終わり方じゃなくてもっとじわっとした感じなのかと思っていた、原作を読むと。あと三千代が死ぬって誰が言ったんだあの感じだと死ぬのかな代助先走り過ぎなのかな。代助の感情の発露、みたいなとこも凄く我儘駄々っ子って感じだったんだけど最後に平岡に摑みかかるところ喧嘩慣れしてないもやしっ子ががんばった、みたいになってて不自然だった(夜回で後ろにいた年配の方たちがそのシーンにめっちゃウケてた真剣なシーンなのだけどな)原作読むとじわじわくるシーンを何で騒がしい感じにしてしまったのだろう?という気がする…。

完全に解釈違いだなって言うのと漱石3部作ならちゃんとそれから三四郎門まで読まなきゃ…原作でもどう解釈したら良いんだろ?みたいなとこが舞台でさらに解釈違いを起こして意味がわからなくなった。舞台はあれはあれで良いのかな。原作読んでなければもっとすっきり受け止められたんだろうか。期待していた様なお芝居でなかった事は確かで、好きな役者さんを見に行ってあんまり好きじゃないと思う事ってとても残念だなと思ってしまった。

寺尾の日替わりゲストの使い方もな〜って寺尾のパートは個人個人の裁量に任せるって感じなんだと思うけど代助と平尾の関係ってそんなに軽視されていいもんだったのか?

みんながお金借りにくるシーンばっかりで代助めっちゃ集られるな〜みんなお金目当てじゃんと思ったけどそれでいいのかな。

三千代が美しくてでも狡い女でもあってそれがさらに美しさを際立たせるというか代助に頼る時のツボのつき方が本当にうまいよな〜。指輪外して指輪売ったの、って言っておいてお金出させて本当は売ってなかったって見せるのとか。水を飲む時に代助がつけた跡をなぞってから飲むエロさ…エッロ…舞台で見る、演技だからこそ見れる視線の使い方とかそう言うとこも好きだったんだけど全体的なお話にはあまり納得いかなかったというか解釈違いを起こした、んだと思う。もうちょっと原作も読み込みたいところ。

ラストのシーンの散らかしっぷりに後片付け大変だな〜って思った

原作を読んで三千代が自分との昔の関係を取り戻したがってるみたいなところに代助は惹かれるんだと思ってて(元から好きだったのはもちろんのこと)やっぱり忘れられないって思わされるきっかけに百合が使われてるのかなと思うし、半襟着てイチョウに〜みたいなあの頃を思い出させるみたいなのがあるからそういうのもちょっと欲しかったかなって…(台詞としてはあるけど原作だとその格好で三千代が代助を訪ねてきたはず)

エロいみたいな旨の感想を読んだけど本当にエロかった三千代…帆風さん凄い。代助は子供だなと思った、梅子から馬鹿にしてる〜って言われる時に手遊びしてある感じとかふとした時に足袋の留め金を直してるのとか細かい演技が代助っぽいと思うところはあってそこは好きだったんだけど全体的に見ると何ともなって感じだった。平野くんの手が美しいなって手が綺麗って見てたせいかもしらん。

平野良”を見に行く目的なら満足だったかな、とか演出と演技の相性が悪いのかもしれないとかもっと新しいものを見られると思っていたとか、何となく不満ばかりを抱えてしまったんだけどこの作品を楽しめる人から見たらこんな不満言うのは私の見方が悪いと思うかもしれないなと思った。絶賛してる方も結構いるから…

前に某夏目漱石作品の舞台も見たけどそっちも解釈が合わなくて単純に夏目漱石作品の舞台化と相性が合わないだけなのかもしれない。

少人数のお芝居は好きだし緩急つけるためにふざけたりする部分入れるのもいいと思うんだけど(寺尾のシーンのあとにすっ、と空気を戻すの好きだった)でもこのお芝居が最終的にどういう作品なのかが分からなくて…台詞ががわりと原作のまんまなんだけどそこに乗る演出が合ってないと思ったのか何なのか。結構作品ざっくり壊してるのか原作通りにしたいのかも分からなかった。もっと壊してしまえば色々良かったのかも。あと代助が序盤の高等遊民の説明をするところと平岡との話し合いの席のところでだけ客席に話しかけてくるのも何か違和感だった…高等遊民の説明は他の人にさせても良かったかなってなったし、平岡とのとこもわざわざ代助が説明しなくても?その他の場面で客席を意識するようなところがないから何であの箇所だけ?と思った。原作は代助の主観で語られるし代助の独り言っぽく喋らせるシーンあっても良かったのに…2.5次元もそうだけど原作がある舞台は解釈違いを起こしやすくて大変、舞台ならではの表現を楽しめばいいと思うけどどうにも素直にすんなり楽しめなくてうーん?ってなってしまった。

見た後もずっとぼんやりと考えているし好きな作品は脚本ももちろん演出がすごく好きなんだなと思ってもちろんどっちも好きな方がいいけど好きな役者、だけではどうにもならないなと言う事を改めて考えたから役者じゃなくて見たい演出で作品を選びたくなった。少しばかり見に行くのを休みたい気持ちもあるけど

13日の日替わりゲストは宮下雄也さんで何故かギターを抱えて出てきて歌って帰って行ったけどそれを横で見てる平野くんがニコニコ楽しそうで本当に良かったね、と思った。楽しそうで何より。昼は積◯ハウス、夜は青◯でどっちもCMソング。DVDになるはずだけどどうするんだろう…?