I was stage gazer

星を追う

星組スカーレットピンパーネル

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去年梅芸版のスカーレットピンパーネルを見てスカピン!楽しい!となっていたところにヅカでもやるよ〜と聞いて軽率に見に行きたくなったけどチケット取りを迷っていたら売り切れてしまって見に行けるか不安に思ってたけど色々と心が疲弊していたタイミングで当日券狙いで行ってきて立ち見で見たけど宝塚の福利厚生の手厚さに感動した。心が疲れてる時は沁みるなあと思った。立ち見だけどあのお値段で見れていいもんじゃない…何というコスパの良さ…ひたすら福利厚生の厚さに感動した。劇場のスタッフさんも細かい気遣いしてくれてとても良いなぁってなる…別に普段非人道的な扱いをされている訳ではない…。

見た人にしか伝わらない感想というかあらすじもすっ飛ばして感想だけ

グランドホテルと同じく梅芸版を先に見ているから演出が違う!となる部分も多かったのだけどスカーレットピンパーネルは特に顕著だったのが、梅芸版ではスカピン団と呼ばれていた様にスカーレットピンパーネルは組織の名称の様なイメージだったのだけどヅカではスカーレットピンパーネル、という個人なのかなと思った。グループの名称ではない。まずパーシーが既にスカーレットピンパーネルとしての活動をしてた、ってところからお話が始まるからかもしれないけど。人数も多い…?あと個人名があまり出てこないというかデュハースト以外誰が誰だったかな…?という気がこれは私がキャストを把握していないせいもあるもしれないけど、トップを立てる構図、がやっぱり宝塚だなと思ったり。

マルグリットとパーシーのすれ違いはもう相変わらずちゃんと話して!!と思ったしもう完全に冷めてしまったところからの愛を取り戻すくだりは面白い完全に少女漫画のやつ!船の上でもう一度結婚式を…!最高のハッピーエンドだ!アルマンには恋人がいるせいかだいぶしっかりした子なのが残念というかアホの子アルマン(個人の意見です)がすごく好きだったから…。違いの話は置いといてというかマルグリットも随分大人しいというか気は強いんだけど剣を取って戦ったりするような人ではなかった…†

でもマルグリット役の綺咲さんすごく美しくて気品があるというか、高貴な美しさ。ルイシャルルがいるせいかこの人のマリーアントワネットが見たいと思ってしまったそんなイメージ。紅さんのパーシーのアホパーシーっぷりと切れ者のパーシー、グラパンのコミカルさの切り替えがとても良かった!アホパーシーは本当に良いものです。二役演じ分けてるいるような感覚で見てしまうのが楽しい。ショーヴランは相変わらず可哀想な人で…というか中間管理職だし上司からの圧力すごいしかつての恋人に全然愛してなかった!って二度振られるの可哀想だからやめてあげて…でもアルマンからそんなに毛嫌いされている様子がなくて良かったね?

ショーヴランの歌はやっぱり好きだなというかスカピンの一番好きなところはこの曲なのかもしれないと見ながら思ったり。聞いててとても楽しい。ストーリー的には勧善懲悪ものだなというか個人的には拗れに拗れたパーシーとマルグリットのまるっと収まる感がもっと何かあってもいいかな!?とかショーヴラン可哀想じゃん!!!!!と闇落ちロベピエが恐ろしい

(1789は革命側から描いたお話なので後のロペスピエールが独裁者になる事が恐ろしい)

ロベスピエール役のななみひろきさんめっちゃお顔が好きです…もうちょっと他の役も見てみたい…もうひたすら何あのクールビューティー大好きです…と思いながら見ていた。あの冷たい視線が堪らない…

スカピン団のお名前とお顔を一致させたいからスカピンはもう1回見る予定を入れたい…あの男役の方がずらっと横並びになる感じすごく眼福ですね…??最高かよ…あと恋愛の要素が強いというかアルマンとマリーが恋人同士なのも、フォクシーに恋人が(助けた貴族の子かな?)がいたりするのが恋愛要素推してくるなと思った所以かな。

宝塚版で面白いなと思ったのはやっぱり宝塚ならではの演出というか宝塚で強みになるのってやっぱり人なんだな〜というか大人数での群舞の見せ方というか人を使った演出が映えるからセットがわりと簡素(というほどでもないけど)になるのだなと思ったところが面白かった。人の動きをどう見せるか、に重きを置いているんだなと当たり前だろ思うけど宝塚初心者はそこが面白いと…。東宝版とか梅芸版に比べるとセットが?ってなる疑問が解決できて良かった(自分の中で)決して簡素なわけではないけどセットの作り方の違い、というか。でも衣装のクオリティというかあの人数分の衣装を用意というか細かい造りまで本当に美しいの宝塚すごい…

 

1番好きだったのは1幕終わりでのウェールズ公に招かれた舞踏会のシーン!前方にイギリス貴族たちがずらっと並んで華やか!なのと後ろの方にはロペピエ率いるジャコバン党員が並んでいて真っ黒!のこの対比がすごく堪らなかった…!!!華美さを否定する革命軍とどこまでも派手に!華やかに!ってなっていくスカピン団の対比。喜劇なんだけど革命軍側から見ると悲劇で、というかどこまでも革命軍がアホとして描かれるからドウシテコウナッタ感が強い理想を掲げて革命を起こしたはずなのに…1789とかレミゼで描かれる革命の結末が…と思うと同時代を描いた作品が多いの面白い…日本で言うと戦国時代…いや新撰組かな?幕末かな?と言う気持ちで見てしまう。

パーシーがひとかけらの勇気で歌う欺瞞と不正を正すために起こした革命の結末がこんな事にとなるのはとても哀しく思える。パーシーの言うとつくに、って外国の事なんだな(今更)パーシーが選んだ結末で血で血を洗う結末にはならないのかは疑問なんだけど結局革命ってなんだったのだろうな…とフランス史について考えてしまった。

あとパーシーとマルグリットの結婚式のシーンで参列者というか教会の人々?、が膝を折っていくのが好きだったショーヴランの"君はどこに"の時の演出…!梅芸版ではすっごくシンプルにショーヴランだけが居て歌う演出だったはず…梅芸版は結構歌を聴かせるためかスポットライト当たるだけであとは素舞台みたいな演出もところどころあった気がしてそれぞれで歌!って感じでめちゃくちゃ良かったのだけど。このヅカでの演出もとても好きだった。あとマルグリットがコメディフランスで歌うシーンが結婚前と結婚後でリプライズの様で。あの観客の数も宝塚ならではだなと思ったのがとても良かった。梅芸版ではマルグリットが娼婦になったり剣を持って戦ったりするすごく強い女性なんだけど宝塚版は守られる様な女性ではあるけれど自分の信念はまげないという感じの…!とても高貴なマルグリット。

 

ルイ・シャルル

アルマンがアホの子じゃなくなった分を一挙に背負うルイ・シャルル…不幸な子供。父と母の話をするルイ・シャルルは泣けるしパーシーとの関係もとても良い。あの!ルイ・シャルルがと感慨深くなってしまう…(1789のせい)あとルイ・シャルルとても美しいお顔立ちをしていて…高貴だしめちゃくちゃ美しい…まだ新人の方のようなのでこれからが楽しみ…

 

スカピンはスカピン団のイケメンが楽しみ〜ヅカのイケメン!と思って見に行ったらうっかりロベピエとルイ・シャルルのビジュアルが好みすぎるあまりに意外なところに落ちてしまった。とりあえずスカピン団のイケメンを堪能するためにもう一度当日券チャレンジする…

ものすごく個人的な意見としてトップのお二人に距離感を感じたというかそれこそパーシーとマルグリットだからいいのかもしれないけど仮面夫婦感というかこれまで見た方たちとまたちょっと違うなという気がしてお披露目公演でもあったからかな…とにかくスカピン楽しいー!ってなって輸入盤も08’星組版も購入した!スカピン楽しい!

二月花形歌舞伎

足跡姫を見てから歌舞伎見たいな〜と思っていて何だかんだ色んな巡り合わせによって二月花形歌舞伎を見てきた。 

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stargazer9.hatenadiary.com

 演目は午前の部 義経千本桜 渡海屋・大物浦 三人形

    午後の部    金閣寺  連獅子

まず午前と午後で演目違うの凄い。出演されている俳優さんはほとんど一緒…凄くない…?歌舞伎俳優ってまず、すごいと初心者は思いました。歌舞伎といえばシネマ歌舞伎で野田版鼠小僧を見たことがある程度で見たいなと思いつつ録画したN◯Kで放送されている作品は録画だけしてほとんど見てない…。義経千本桜も多分昔録画した記憶が有るくらい。能とか歌舞伎の勉強を一時期していた事があって演目だけは知っているというか、能と共通する演目は分かる。能の石橋が好きであの!有名な連獅子が能の石橋の演目を歌舞伎に持ってきた松羽目物という事を初めて知った。確かに能の舞台セットみたいな感じでやってて面白かった。間狂言もあるし。あと義太夫という文化!(昔三浦しをんの仏果を得ずで読んだやつ)

義太夫狂言とは? | 独立行政法人 日本芸術文化振興会

 

義経千本桜 渡海屋 大物浦

『義経千本桜』あらすじ紹介 | 独立行政法人 日本芸術文化振興会

イヤホンガイドを借りて解説聞きながら見てたけど竹本〜とかさらっというけど今の何だった?って思った。見てて思ったのは歌舞伎はキャラ物の世界なのかなと、お話の筋は大抵勧善懲悪物とか悲劇とかまあ元々古典から変わってないからあれなんだけどその中でも本当にキャラクターが魅力的というか。義経千本桜の銀平(知盛)が凄く好きだった…知盛としても勿論忠義に厚いというか武士の心得をいつまでも忘れずにいる人、まあ復讐の鬼と化してる…も好きだけど銀平がまさに伊達男って感じで格好良くて最初登場する時番傘持ってるの本当にずるいー!格好いい!!!!!お柳がノロケるうちの旦那の見立てに間違いはありません〜っていうシーンがとても好き…!でもそこからの展開がすげえってなったし、義経が一枚上手なのも格好いい。義経千本桜の渡海屋と大物浦っていう本当に作品自体の一部なんだよなぁ…。静御前が出てくるお話が見たい。銀平、知盛、幽霊として現れる姿、の三パターンも見られるの美味しいというか本当に豪華で良い…好き。銀平が好きなのと幽霊の知盛が安徳帝を振り返り振り返り見るシーンに心の中で大号泣するし、もう最後の海に落ちる(?)シーンはうわああああってなっちゃう。生きられない人の悲しさを想う。前半のコミカルなシーンもすごく面白くて相模五郎と運平のあの二人のやり取りなー!早く進めて!ってめっちゃ怒られてる…。銀平が見てるって…(笑)武士に鍛冶屋をやらせるとは!石でカチーンカチーン(結構長かったなー)と魚の下りは本当に面白い。こういう言葉遊び好き!

銀平が格好良くて売られてた舞台写真を銀平…格好良い…って眺め続けた結果午後の部で銀平・知盛(白衣装)と連獅子のお写真を買いました(連獅子は見る前だったけど毛振りの時のお写真だったから買わないと後悔すると思った)

 

三人形

三人形は傾城・奴・若衆の舞踊劇(?)それぞれ特徴的なキャラクターの動きと、やっぱり傾城と若衆の絡みが美味しい…とっても良いですね!あと奴のコミカルというかずっとーんって座る動きが凄かったのと。見た目用の履物と踊る用の履物で履き替えててまあそりゃ踊れないよなと思ったけど舞台上でお召替え見られることに何かとてもフェティシズムを感じる。奴のお衣装変わるのも好き。

 

午後の部の前の挨拶が尾上松也さんであの午前の悲哀に満ちたキャラクターからのサービス精神旺盛な松也さんの挨拶がとても面白かった。まず普通に挨拶した後に、歩き出してうろうろと花道まで、見所を紹介してくれたりせっかく千秋楽なので!と手ぬぐいを客席に投げてくれたり、物販の宣伝まで!すごいサービス精神が旺盛な方だ…(笑)

 

祇園祭礼信仰記〜金閣寺

金閣寺はまずセットが凄い!あのセットの仕掛けを(せり上がり)江戸時代でもうやってたとかどういうこと?ってなった…雪姫が三大姫と呼ばれているのも分かる気がした。爪先鼠すごい!でも指物の鼠可愛くて笑ってしまったし、倶利伽羅丸の龍の出現シーンも心の目で見てください!って感じなのかなと、いや現代的な演出に慣れた身としてはとてもアナログなのが斬新でした。此下東吉のモデルが秀吉だから木登りのシーンのがある、という解説を聞いてふふっとなってしまった。雪姫と大膳の因果(親の仇)にまさかそんな巡り合わせ!設定盛りすぎ!と思ったけどそこはまあ…!雪姫の動きというか所作が最初大分お人形さんみたいだなと思って見ていたけどもともとこれも浄瑠璃からの演目らしいと聞いてなるほどなーと。黒子さん大活躍なのも見ていて面白かった。あと義太夫さんが途中でくるりと回って入れ替わる!のとか。歌舞伎の伴奏って御簾越しなんだなー!も割りとカルチャーショックというか。むしろ金閣寺で前に出てきてるのが面白かった。大膳の最期のシーンも何かこれが歌舞伎!って感じだったな…雪姫を縛ってこの姿が濡れた花のようで美しいっていう大膳というかやっぱり日本の緊縛って生まれるべくして生まれた文化なのだなとか思ってしまった。まあ美しかったです。あと直信が美しくて?結構他の男性陣がしっかり男性という感じなのに対して大分優男な感じがした…。

 

連獅子

連獅子はもうこれ好きなやつ!まず能の石橋が好きだからこれが本当に見たかったー!能の石橋とは大分ちがうな、とは思ったけれど豪快な毛振りとても良かった!!いつもより多めに回しております!な雰囲気だったのでは(笑)親獅子の蹴落とした子獅子を想ってうろうろ子獅子の姿を探すシーンもとても良かった…。手獅子がずっと大体伝わっているものだとか、あの毛はヤクの毛で作られているとかも面白かった。大分もっふもふですよね…後見さんが整えてあげる、もふもふしているのが本当の動物っぽくて可愛かった…。あと子獅子が何度蹴りおとされても体勢を立て直して堪えるシーン!ころころする子獅子可愛い!!!!!!擬人化ではなく人が擬獣化するのってまさしく萌えの文化じゃねえとかと思って日本文化の根深さをここに見る。子獅子の右近さんが大分サービスというか通路側のお客さんに毛が当たる様に花道に移動した時かな?してて、これは!!!受けたいサービス!と思った。獅子の毛が当たる席ですよって売り出してほしい。間狂言も面白かった!松羽目物として特殊な演目(まず伴奏の方々の人数!)だなと思ったけど歌舞伎でまんま狂言を見ることになるとは思わなかったというか。松羽目物の間狂言、として普通の能の狂言とは違うのだろうけどとても楽しかった。

歌舞伎役者の皆様は基本として舞踊をされているからかやっぱり身体の使い方がとても面白いなと思って、普段見ている役者さんとはやっぱり全然違って。何より所作がとても美しい…!歌舞伎はデフォルメの文化、とどこかで読んだ様な気がするけどまさしくそうだなというのを改めて実感した。キャラ物の世界だなというところもやっぱり私の好きな要素ではないのかと思ったから機会があればまた行きたい!とりあえず次は5月かなー…新たな沼が!

黎明ロマンティック

 

今宵語るは黎明〜

www.youtube.com

黎明はまずOPがめちゃくちゃ良い。でもこれ実際DVD買ってみるとちょこっと場面カットされてる!この前にちょっとシーンがある。あと舞台セットの構造どうなってるの?って本当に不思議。すっごいセットが面白い。そんなところから?ってところから出はけするし、えっそんなとこまで舞台なの?ってところのシーンがあったりする。でも実際劇場で見たお客さんは見えにくかったのではないかとも思うんだけど…理想を追求した結果全然姿が見えなかった声が聞こえなかったは無しだと思う…実際どうだったかは知らないけど。

と、言うことでネタバレしつつ感想まずあらすじ(公式)

ささやかな葬儀が行われている。
通り過ぎる人々を見つめる。流れていく時間。
その日の朝、僕は病室にいた。
突然現れた、その世界の終わりに巻き込まれるようにそこにいる。
沢山のチューブに繋がれた父を見つめる。流れの止まる時間。
今と、過去と、幻想が交わる。
あなたは何を思って、何を感じ、どう生きて、何に涙し、何に怒り、何に絶望したのか。
遡る、幾重の世界を旅した、たった一人の“あなた”を探す物語。
朝焼けまでの物語。
黎明ロマンティック。

12thACT_ReimeiRomantic

やっぱりこのあらすじあんまり伝わらないのでは?たった一人の”あなた”が色んな所にかかっているというか誰にとっての”あなた”なのかなというところ。

とりあえず黎明に対して思うのは良かったなぁという気持ち。後悔しても仕切れないこととかやりきれないことがない。いやあるかもしれないんだけどでもそれは受け入れて生きていくしかないし、忘れずに生きていくしかない。それを全部覚えている。覚えているから良かったなと思える。あと言葉がちゃんと届くことは幸せで、分かり合えることも幸せで。そんな一瞬だけでも分かり合えた親子のお話だと思ってるから幸せだと思える。危篤状態の父を見舞って、父の人生の走馬灯の夢の中に巻き込まれる息子、というお話なんだけど父の人生を追体験する。母を亡くしてから故意に父を避けていた息子が否が応でも父と父の人生と向き合うっていう構図がとても好きで。それこそ親の人生なんて気持ちなんて全く知らないなあという自分にも向き合わされる、しいつかこんな時が来るのだなと少し感傷的(?)な気持ちにもなったりする。それはとても怖いことだなあという事も考えるし。父の人生をなぞって楽しかった事とか苦しかった事とか悲しかった事とか、知らなかった父の気持ちに向き合える主人公とはとても幸せだと思う。まあこの父(ソラオ)が末原さんなのがとってもだめですしてしまう。末原さんの感情をそのまま出すみたいな演技なんだけど演じていない様な素のままなんじゃないかと思う感情にすごく揺さぶられる。この人の演技を見てこんな気持ちになってしまう自分がいるのもとても不思議。やっぱり面白い演技をされる人だなあと思う。おぼんろで見る末原さんがご自身で作ったあの箱庭の様な世界、もとても好きなんだけど客演先で自分の意図しない所に転がされていくというかエムキチでしか末原さんの客演を見た事ないんだけど演技なのか素なのか全くわからないというかあの感情は本物だろうなと思う。だからとても好きなのかもしれないし、好きだなと思う。エムキチ名物なんだかよくわからないけど主人公に寄りそう本当はいない人のお兄ちゃんとはなんだったのかとはちょっと思いました優しかったけどお兄ちゃん…(睦月)最後は希望のある終わり方というか明けない夜はないし、夜が明ける前が一番暗い、黎明。

距離感とキネマと恋人の話

 

去年12月に見た舞台の話を今更、というかこの作品自体が、何かぼんやりと悩んでいるところにひっかかったというか、心に棘が刺さったまんまだなぁという気がして。

 

この記事を拝見してまた思い出した事もあり。

dailyoshikawaii.hateblo.jp

作品の感想というよりは自分の話をするから感想をお求めの方はすみませんという感じ。まともに見られなかった。個人的感情が入りすぎて

 

キネマと恋人の話をざっくりすると、映画が大好きで贔屓の俳優が出ている映画を見る事が一番の幸せのハルコが主人公、ハルコの現実はそんなに幸せでないけれど映画を見ている時はとても幸せ。ある時いつも見ている映画から贔屓の俳優が演じている間坂寅蔵が出てきた。映画は進行出来なくなりてんやわんや、偶然ハルコの暮らす島に映画の撮影で間坂寅蔵を演じる高木高助が来ている。間坂寅蔵が居なくなった映画は大混乱、間坂寅蔵と逃げるハルコは偶然高木高助を間坂寅蔵と間違えて、高木高助とハルコが出会う。憧れの俳優さんに出会って有頂天のハルコと周囲とうまくいかずに首ギリギリの状態からハルコと出会った事によってまた自分の夢を取り戻す高木高助、そして間坂寅蔵と高木高助の間で揺れ動くハルコ…!

ざっくりこんな感じだけど最後は間坂寅蔵ではなく高木高助を選んだハルコ、高助とともに東京で暮らす事を夢見て家を飛び出した、けれど約束の時間に高助は現れず、聞くと一つ前の船で先に東京へ帰った、と。また映画館に座って映画を見るハルコ。

カイロの紫のバラという映画を下敷きにした作品なんだけど最初は夢女子かよ!と思ったけどお話が進行する内にあーこれは私たち(みたいなオタクとか)の話ではないかと思ったし、結局現実はこんなもんだよ、という終わり方に凄く心を突き刺されたというか。

実際そう思った人が結構多いらしい。でもそれは現実から逃避するための娯楽を持っているという意味かもしれないし、それこそ誰かに対して夢を見ているという意味かもしれない。

「キネマと恋人」「(ヒロインの)ハルコはわたしだ」という主旨のつぶやきを散見。
元ネタの「カイロの紫のバラ」を観た23の時、「(ヒロインの)セシリアは俺だ」と思った私です。
たくさんのハルコにこの舞台を捧げます。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ (@kerasand) 2016年11月18日

 

結局夢は夢の世界で現実は現実で混じり合う事がないとか、ハルコは間坂寅蔵に惹かれているんだけど結局映画の中の人だから、って高木高助を選ぶんだけど結局高木高助も映画の人なんだよね…というか高木高助がハルコを置いて行ったのは自分自身が夢を取り戻したから、だとかまあ一時の迷いだったとか…

高木高助と対照的に描かれる映画スター嵐山進はハルコの妹ミチルを娼館が見つからない代わりに一晩の相手にしてそのあともずっとミチルに追い回される、一晩の相手で後腐れないと思っていたのにミチルは東京に一緒に連れて行ってくれると思い込んでいる(占い師に言われたから)嵐山進はきっぱりと相手に夢を見せないように断るから酷いように見えて本当はこれが一番良いというか残酷でないというか…高木高助はファンであるハルコが自分のやりたい事やろうとしてる事を理解してくれて自分の演技をこうした方が良いんじゃない?とかアドバイスをくれてハルコに惹かれるんだけどそりゃあファンだからいちばん理解してくれるだろうしこうした方がいいとかもっと良くしてあげたいと思うよね…

もうちょっと作品の話をすると、演出がすごく良かった!空間の使いかたとか切り取りかたとか。映像もたくさん使うし、アナログな演出もあるし何よりアンサンブルの人たちの動きがとても面白い。セット転換はアンサンブルの人たちが行うんだけど、ダンスの様なすーっとした動きでセットを転換しているという余白の部分ではなくて作品の中に溶け込んでいる様な(説明が難しい)あの演出をもう一度みたいなと思うくらい本当に演出がとても良かった。でもお話に大分心を突き刺されていて。

 

(ここから私の話)私は舞台の上以外の推しには極力近づきたくないタイプで、(の割にイベントとか行く話はひとまず置いといて)ハルコみたいに最初間坂寅蔵と間違えていたとは言えベラベラ話しかけたりしないなとか思ったのと、役者を好きになる上で"役"(キャラクター)の部分として好きなのか、中の人も含めて好きなのかってどうしても悩む問題ではあると思っていて(リア恋とかそういう部分も含めて)個人的には演じている部分の中の人が好きなのであって中の人個人が好きな訳ではない!と思っているんだけど(役者という職業でなければ好きになってなかっただろうという事でもちろん)キネマと恋人の中で間坂寅蔵はハルコを好きになって、このまま映画の中には戻らずにハルコとずっと一緒に居たいと言うんだけど、その寅蔵を演じている俳優高木高助に好意を寄せられて、ハルコは高木高助を選ぶ。映画の中の人は映画の中の人だからみたいな感じで、まあ間坂寅蔵は本当に映画の中だけの事しかしらなくて本当に何にも知らないんだけど現実離れしている。でも私は役者さん自身を好きになってはいけないと思っていて、あくまでも”お仕事”の部分が好きなんだと思っている、というかそう思わないと”ファン”としていられないのでそう思うようにしている。だから私は中の人が好きなんじゃなくて外の部分(演じている部分)が好きなんだけどまあ、でも中の人も好きになっちゃうよね、中の人がどんなにクズでも外の部分(演技)が好きだからって好きになれる人もいると思うけど切り離そうとして私はうまくできなくて。でもそういうのだめなのかなーって思ったりする事もあって。 

なんでそういう風に思うのかというと分かり易い例をあげるとこれ

名前と顔が一致したくはないです。タレント性はつけたくなくて、自分自身を隠しながら、「この人、どっかで見たことあるけど名前がわからない……」ぐらいの存在でいいんです。それでエンドロールを見たとき、「あの人何役で出てたの?」と思われるような。

www.womaninsight.jp

ちなみに橋本さんはキネマと恋人で嵐山進役

橋本さんはいい役者さんなので本当にまた見たい…スタイルがめちゃくちゃよくて立ち姿ですぐわかる。

これは橋本さんのインタビューだけど似たような事を村井さんもイベントで話していて、色をつけたくない、透明でいたいみたいな。特定のイメージがついちゃうの嫌だからってプライベートの部分で隠してたりする事あるし、でもたまにそれはいいんだ?って事を話されたりするからよく分からんのだけど…何が言いたいのかというと”役者”として見て欲しいって事なのかなと思っていてプライベートの部分を知ってしまうと役を見た時にどうしてもイメージが邪魔をするというか多分何もその役者さんに関して知らない方がフラットに楽しめる。この役を演じるにあたって苦労されたんだなとか普段慣れない言葉を喋るなんて大変だなとかそういうのはお芝居を見る上で不要な部分で、そういう事考えると純粋にお芝居を楽しんでない事になるんじゃないかとか。だから素の部分に触れようとする事ってあんまりしちゃいけない事なんじゃないかって思ってしまってでもイベントとかされるなら行くよねってなるんですけどね…そこは見せてもいい素の部分を見せてくれるらいいのかなとか…。あと平野くんがカレンダーイベントでカレンダー出したくなかった、とか役者としての部分を好きになってくれたんだから、みたいな話もしていて(カレンダーイベントでカレンダー出したくなかったって話すごいな?)自分の話めちゃくちゃする人ではあるけれど(思いっきり木曜日とか番組もやってるし)いつも一線引いたように感じるのはそういうとこなのかなと思って。やっぱり”役者”としての部分を見なくちゃだめなのかなと…。こういう部分にオタクじゃなくて”ファン”(あくまで作品の一部としての演技を楽しむ様な)でいなくちゃいけないんだろうってジレンマがあったり。まあオタクなんですけど。ファンとして踏み込んじゃいけない部分って絶対あると思っていて必要な距離感というかこれ以上は知ろうとしてはしてはいけないみたいな部分。その部分まで踏み込んでいきそうでいつも怖い。だから必死に距離を保っておかないといけないなと思っているんだけど。ファンとオタクの使い分けは1つの作品に何公演でも入っちゃう様な作品よりも特定のキャスト目当てで見てしまうとかまあ自分の事だけど…距離感の取り方が違うのかなぁと。客席が埋まるかとか心配してしまうのはオタク(本来"お客さん"の立場であるなら考えなくていい事)ファンでいるためにはDDになるのが手取り早い気がするからとりあえずDDを目指したい…誰かを拗らせずに生きて生きたい…あんまりオタクになりすぎると自分が辛い事を経験上分かってるから

 

で、キネマと恋人の話に戻るとハルコさんはそのファンの部分を軽々しく踏み越えて行っちゃうから傷つく事になっちゃんたんじゃないかと思っているんだけど。夢と現実の境界を越えてはいけない。あと、間坂寅蔵についてって最後まで夢を見た方がよかったんじゃないかとも。高木高助を選んだのは夢の人と現実を共にする事を選んでいまったから、だと思っていて私はあくまで夢の人は夢の人のままで良かったんじゃと思ってる。それが適切な距離の測り方だと思ってる。

「キネマと恋人」大阪2ステージ目終了。御来場ありがとうございました。私はホテルの部屋で別の仕事ですが。
20分後には大阪最終ステージ。私はホテルの部屋で別の仕事ですが。
楽しんで頂けます事を祈ります。ちなみにラストはあれ、演出家してはハッピーエンドだと思ってます。ビターだけどね。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ (@kerasand) 2016年12月8日

 まあKERAさんもこう言ってる事だし決して悪い終わり方じゃないんですよね…ハルコは辛い現実(夫からの暴力、浮気、金銭の要求)から逃れるために映画に通っていたけどその現実を捨てて(離婚して家を出た)夢の世界(東京)に行くという夢を見た、んだけど何もできずにあのまま暮らすよりもせめて一歩踏み出す事が出来たからよかったんじゃないかと思ってる。ただこれをよかったね、と受け止める事が難しくて心にずっと棘が刺さったままで…決して自分はリア恋?だとは思ってないんだけど、これのダメージくらうって事は少なからずそういう部分があるのかなとも思ったり。自分の事と切り離して見られないから余計に辛い。感想をいうにも絶対自分の話になってしまうし。

 

で、私は推しの何になりたいかという話。私は紫の薔薇の人でいたい…(去年ガラスの仮面も見た)真澄様はマヤちゃんが女優として成功するための援助も手助けも惜しまないしファンとしても熱心な…存在を認知されずとも懸命に応援したい…真澄様の一番偉いところは女優としてのマヤちゃんを愛しているから女性としてのマヤちゃんに惹かれている自分が居ながらその気持ちが女優としての妨げになるかもしれないと思って身を引く事ですよね…自分の気持ちより女優としての成功を願う。こうありたいなといつも思う。目指せ紫の薔薇の人(なれない自分がいる事を知っているからキネマと恋人に心を抉られる)

あとびっくりしたのが橋本さんがあんまりインタビューとかすら受けてなかったと言う事、このSNS全盛期情報化時代に凄いね…アミュー◯なのに凄いね…SNSがある事によってインタビューとか以外の部分からも素に触れる事が多くてもうミステリアスさ、みたいなものを保つのってすごく難しいんじゃないかという気持ちしているけれど(逆にジャニー◯とかの方がわからないのかも?でもテレビめっちゃでるしな)そういう風に実際できる人もいるんだなーって(橋本さん)思ってそういうのが本当は理想なのかなとも思ってイベントかやってくれたらもちろん行くんだけど本当はやらずにというかそういうイベントの類ってファンサービスの部類でもあると思ってるから(必ずしもそうじゃなくて販促とかの意味もあったりすると思うけど)そういうを事せずに役者としてのお仕事のみでファンが増やせたらいいよねえと思ったりする…でもこのご時世にさあとかまた考える。ファンでいる事の見返り、みたいなものはいい演技を見せてもられるだけで十分に貰えているから必要以上に望みたくないんだなとか。だから橋本さん凄いなってめちゃくちゃ思った(隣の芝が青く見えすぎた)まとまりないけどこれで終わり。

 

俳優ではなく役者という語感が好きで役者と言いたい、役の者なんだよなって思うとやっぱり俳優ではなく役者でいて欲しいなと思う。言葉の問題だけど。若手俳優という言葉が割と嫌いなのかもしれないその括りに入れられて欲しくないというか。若手なのは分かるけども。若手俳優がジャンルと化しているからかなぁ…そこにはまっている私が言うことでもないけど。

 

紫の薔薇の人には決してなれそうにはないけどできる事ならなりたい…

ミュージカルフランケンシュタイン

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www.tohostage.com

私が見たのは柿澤さん、加藤さん回フランケンシュタイン自体の感想とかレポも至る所で見るのでまあ私が特に書く事はない、と思いつつも感想を。

とりあえず感想をいっぱい見かけるというかツイッターのフォロワーさんも結構入ってる人多くて色んなところから感想回って来てすごいな〜と思っていたのと、チャーリーブラウンの予習の為にアッキーさん回見たかったんだけど柿澤さんのジャックがえぐいと聞いててそれがとても楽しみで、柿澤さん自体も初めて拝見したので。

結局”怪物”とは人間の心にいるものというか人間の心が生み出すものというか人間が一番怖いみたいな話だった、ざっくりと。原作のフランケンシュタインも読んだ事はないけど人間が生命を創り出す事についての禁忌、踏み込んではいけない領域って言われるのはやっぱりキリスト教の宗教観なのかしらと思って。元が韓国のミュージカルだし、いくつか韓国の戯曲を見ていて(初恋探し、ブラックメリーポピンズ、鱈々)やっぱり”神様”みたいな感覚が違うなと思った事があったんだけど人間が生命を創り出す事の可否、みたいな話になるとやっぱりそういう事を思い出してしまった。

あと虐殺器官(作中にフランケンシュタイン博士の研究について触れる部分がある)も思い出してあーあれ結局最後まで読んでないんだよなというのを思い出した。

生命を創り出す事が神の領域になるとは私はあんまり思わないというか生命の神秘、はいつか解き明かしてみたくなるのが科学者というやつなのではと思うパンドラの箱なのかな…話がずれた。

アンリはビクターにとっての初めての理解者、同志、友達だと思っているんだけどビクターの方が研究を完成させられそうだからって自分の命を差し出すのはビクターにとってあまりに残酷だなと思ったし(一緒に逃げるとかそういう選択肢はなかったのかとかまあお話進みませんけどね)ビクターはアンリの事を失いたくないほど大切な友達だったのだと思うけどアンリにとってビクターは”研究者”だったんじゃないかと。科学者としての夢を託す相手。まあそれも友情だといえば友情だけど相手の事を本当に考えるなら自分の命は差し出しちゃいかん。

ビクターは生命を創り出す事を目的にしていたというより”生き返らせる事”を目的にしているからだめなんだなと思って。怪物くんにアンリを求めてしまうから、アンリじゃない怪物くんを不必要だと思うのはやっぱり傲慢というか自分勝手というか。赤ちゃんだと思って育てるしかないのにな。でもその自分勝手さが人間でしかないなあというか神様にはなれない人間感。多分これから何回生命を生み出す事に成功してもその重みに耐えられないんじゃないかと思ってしまった。可哀想な子だ…。命を生み出す事、と死者を蘇らせる事ってやっぱり別ものでは?と思ってしまうんだけど。一度死んだ肉体に生命を与える事=その人間が生き返る事ではない。怪物くんに心が芽生えてるのが、あいつ思春期なんだよて言われてるけど人工生命体に心が芽生えるってとんでもなくすごい事なのでは…?アンリの記憶は受け継いでない、みたいに言われるけどカトリーヌに出会った時に既に人を傷つけたくないみたいな気持ちが芽生えていて?心が芽生えるの早いな!あと北極は突っ込みどころじゃないですか北極。笑うところだと思ったら本当に北極に行った。ええ!?ホッキョクグマ美味しいよ!じゃないよ。怪物くんが最後にビクターを”友達”と呼ぶのはアンリとしての記憶がやっぱり戻ったというか取り戻したとかそういう事なんでしょうか…やっぱり人の心は脳に宿るのか脳がアンリだからアンリの心を持つ怪物くんなのか。自分勝手に生み出して殺そうとしたビクターへの復讐とはいうけれど人間そのものに対しての絶望感というかやっぱり怪物くんの心が複雑すぎない?アンリなのか怪物くんなのかイマイチ分からん…。ここらへんが納得できればもうちょっと面白いのかなと…これ以上見る予定ないので悶々とする…。

ミュージカル界最高のキャストみたいな謳い文句通りに本当にみなさん歌がうまい(当たり前)特に濱田めぐみさんすごいなーってなったのとビクターの時とジャックの時の変化がやっぱり面白くて全然違うな〜!ってとても良かった。あと子役ビクターの子歌がうまい…怖いな子役。ビクターがエヴァの幻に向かって抱きついて子供のように縋る姿も大変好き。柿澤さんのジャックはゲスいみたいに言われてましたけどあのゲスさがすごい好きです…人間らしいとても。あとジャックのビジュアルがとても好きで、あのビジュアルが好き。なんだかんだ怪物くんがずっとビクターのコートを着ている事の意味をビクターは考えてあげるべきだろうと思って。考えてあげようその気持ち!カテコとかで二人あのコートを着ている姿を見るとああ〜ってなった。あのあとビクターはちゃんと死ねるのだろうかと思った。なんだかんだ生きてるのかもしれない自分で死ねるならそれはその方が幸せだし、でもまた生命を創り出そうとは思わないよなーそんなにメンタル強い人でない。

まとまらないのでこれで終わり。

 

宇宙に関する千の噂

熱闘!!!飛龍小学校☆パワードという作品の話(観劇当時の感想と+振り返りで追加)

6/25マチネ・ソワレを観劇。
 とにかく赤木ジョーは世界一格好良い小学3年生。

2016年私が見た平野くんの役の中でも1番格好良かった…個人的に。

でも劇場で見たものがあんまりにも良いとDVD見た時に劇場で見たものと全く別物に感じてしまってDVDではあんまり楽しめない....本当に熱い舞台だったんだ…劇場で見て欲しかった

噂が噂を呼ぶ、きっかけもフォロワーさんから勧められて元々はシャトナーさんがやってた劇団ピスタチオの作品、ということくらいを把握してとりあえず平野くんが短パンらしいから見に行くと思ってと軽い気持ちで見に行ったらなるほどこれはみんなに見て欲しくなる熱さで本当に良かった。

先に見た人たちからの噂(ツイート)を聞いていてもそれでも想像を遥かに超えて熱かった。流れてくるツイートがまるで噂が飛び交っている様で噂で構成される作品の噂がネット上をビュンビュン飛び交っているのがまさに噂が噂を呼ぶ舞台。

自分の子供の頃を思い出したり舞台なのにまるで映像作品を見ている様な演出と、そこにないものがそこにあるように見える・見せられてしまう演出にわくわくした。

飛龍エメラルドは確かに存在した。飛龍エメラルドは物体として存在しなくて照明だけでその存在が示されるという演出もとても良かった!!

子供の頃の盛大なごっこ遊びを役者さんが身体を使って全力で演じるともうそれはごっこ遊びでなくて実在するものになってしまうんだなというのが不思議で面白かった。最初のテロップからもう本当に格好良くて、凄く映像的。(ダダダダダッ)あのテーマ曲を聴くとどうにもわくわくしてしまう気持ちになるのと子供の頃に見たインディ・ジョーンズの映画を思い出した。クフ王のピラミッドのせいかしら。

どうしてもジョーに目が行きがちで居るのに、居ないジョーの演技は本当にああいう主人公なのに物語の中に居ない、主人公大好き。ジョーはいるんだけど、ジョーの存在自体がみんなの記憶から消えていってるから、居るけどいない。ジョーは自分の存在を取り戻す為に謎を解いて上級生たちに立ち向かっていたはずなのに結局世界=学校を救うために自分を犠牲にしてしまう凄く子供だなと思いつつも子供だから選べる選択で。子供の視点から見た世界が描かれていて大人が1人も出てこないから多分大人の視点から見るとこのお話は全く別物なんじゃないかと思った。結局ジョーの存在はどうなってしまったのかなって考えてしまう。

ジョーは永遠に子供のままなのかもしれないと思ったり。 

あと大人になってしまった立場からは学校が崩壊しても自分の生活がなくなるわけでないのに、って思ってしまうけれど小学生にとっての世界=学校と思うとジョーは世界を失うか、自分の存在を失うかの決断をしたと考えると凄く腑に落ちる。どこまでも格好良い小学3年生…!!!!!!

マリとの関係性も本当に小学生っぽいな〜とえすいーえっくすの噂の真相を突き止めてしまったらちょっとショックを受けるのでは?と思うくらい純真な小学生。マリが最初にジョーを知らない子よ、という噂オークションのシーンは1度目は知らないふりなのかと思って見ていて、2度目はもうこの時にはジョーの存在が消えかけているのだなと分かると凄くショックを受けて、ジョーの為に大人になりたくて次に会った時はちょっと違うわたしかもしれないってウキウキとジョーに手紙を書いた数時間前のマリが居た事が分かるとあの手紙のシーンがより愛おしくなる。 飛龍エメラルドを手に入れて大人になった自分を思い浮かべて手紙を書くマリを想像すると本当にその純粋な恋心が可愛らしい。マリのP.SP.SP.Sがずっと続いていつ終わるんだよって言うのも本当に小学生。

女の子たちは同年代の男子たちと比べてやっぱり成長が早くて遠山会長のもう既に半分大人になってしまっている、飛龍エメラルドがあるせいで大人になってしまった、っていうのが本当に切ない。勝手に自分が大人になっていく事を自覚させられるのはなかなか受け入れられないし、なんでパチオは知ってたんだろう。アリスがカメレオンスーツを着て遠山会長に変身した時の遠山会長がとても好き。パチオの機械にはない人間性を身につけて帰って来ます、という台詞にフフフとなったのでこの2人の将来を勝手に考えるの楽しい。アリスの命を賭けてあんたを守る義理はないよ(台詞あやふや)が完全にフラグ…恋は電撃と言うからにはあの年齢で恋多き女なのかなとか。不知火とのカップルも完全に姐さんって感じで可愛い…小5にして彼氏を"あんた"呼びはシブい…。あとカメレオンスーツを着たアリスがジョーに平手打ちするのがなんとなく好きで。

とにかくみんな個性的で純真で格好良くて、確かに子供の頃って凄く格好良い事を恥ずかしげもなく言えたりするよなと言うのを思い出した。大人が全力で子供を演じるのにおかしさはなくて本当にみんな全力で小学生で愛おしくて仕方なくて轟天寺様は番長なのにパパが怖いとかDS取り上げられちゃうかもしれないし、ウォンの親父がめっちゃ怖いの気になる。ウォンに声を掛けるジョーめちゃくちゃ格好良いし、さすが飛龍小一の探偵!ジョー轟天寺様の身長差が6年生と3年生の体格の差を体現しているのが…!萩野さん大きいなぁ…4〜6年生は3年生のジョーから見ると怪獣のような姿をしている、がエスカレートして6年生はもう人でなくゴジラになってしまうんだけど、尻尾まである。人間USBとか村雨とラスベガスの熱い友情とか秘密ハンターズの小物感(とても小学生っぽい)、真面目口兄弟の対決がそれぞれの特性を生かしていて本当に美しかったし、児童会長と番長のにらみ合いが赤と青の対比でよく漫画で見る龍と虎のにらみ合いみたいな感じでとても好きだった。

ピスタチオ版も借りて見せてもらったんだけど、古代番長がいない飛龍小が何かとても不思議でウォンが色々誘導する役割を担ってて不思議な転校生…2016年版のウォンも不思議な転校生だったけど格好良いよウォン…転校するたび技を封印する。USBとかブルーレイディスクとかも新演出なんだけど今の小学生はそんな事知ってるのか、って感慨深くなった…。

未だにジョーの話をするとテンション上がってしまうくらい大好きな作品、本当にジョーが格好いい。終わった後にもいい年した大人で飛龍小学校ごっこ始めてしまって、本当に”飛龍小”の卒業生みたいな気持ちになって楽しかった。名札クルッとかダダダダダッ!とか。

 小3トリオ可愛い。

 

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 シャトナーさんの作品に出演するのが6本目で初主演がこの作品、というのも本当に熱い話…本当に飛龍小で、ジョーが平野くんで良かったなあ。本当に生で見られて良かった。

プロデューサーの登紀子さんを別の現場でお見かけした時に平野くんジョーすごく良かったです!ありがとうございますと言ったら良くん主演でやりたかったの!とか共演者もめっちゃ褒めてたとか照明さんも良くんはきっかけがわかりやすい!と褒めてたとかいうお話をちょこっと聞けて嬉しかった。

お気に召すまま

感想消しちゃってたので改めて初日(4日)と21日のマチネを観劇。

 

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サイケなアーデンの森!

 

正直初日はお話を追う事に必死だったなと思って(あらすじ程度しか知らなかった)2回目の方がかなり楽しめた。でもやっぱり世界観がめちゃくちゃシュールだな…と思ったのはカルチャーショックかもしれない。演出として意図している部分を読み取れてないな?と思うことが多くて消化不良を起こしていたけど気にしなくてもいいのかもしれない…でもやっぱり気になるを繰り返している。シェイクスピア作品に不慣れなだけでなくて、海外の演出家さんが演出されるシェイクスピア作品も初めて見た。日本人の演出家に比べて役者のイメージに固定されない演出を〜という評を見てなるほどな思った。スタンダードな(と言っていいのか)お気に召すままとは大分違う様で、スタンダードな方も見て見たかった。またこれからどこかで見られる機会があるはず。多分。

好きなのは、宮殿からアーデンの森への転換。真っ白な宮殿から極彩色でサイケなアーデンの森へ。この転換がいちばん好きかもしれない。この時キャストの方がくるくると柱を回しているのに気づいてそれもとても良いなぁと。冒頭の宮殿のシーン20〜30分くらい?は無音で舞台が進行するのが辛くて耐えられなくなってしまうのだけど、これは宮殿内での窮屈さを表しているのだなと思うと辛い気持ちになって当然なんだなあと。早くアーデンの森へたどり着いて欲しい…。宮殿とアーデンの森の対比は宮殿でのかっちりとした服装とアーデンの森でのヒッピースタイルにも表れているけど、ただ一人、宮殿でのル・ボーとジェークイズの全身黒スタイルの橋本さんだけは他のキャストと逆だなあと。ル・ボーもジェークイズも好きです。あと道化のタッチストーンは2役でもないし、服装もそのまま。道化の特異性?みたいな事なんだろうか。これちょっと不思議だな。

 

 このクッションが可愛くて地味に好き…

 

ジェークイズの語る人は皆役者、演技をしているとかを聞くとタッチストーンとは阿呆の振りを演じている阿呆なのだと思ってしまう。ジェークイズも多分鬱ぎやを演じている鬱ぎや。アーデンの森でののんびりとした幸せな空間に似つかわしくないジェークイズがいる事でなんとなく浮かれた気分から現実に引き戻されてしまうような感じもする。あの婚礼のシーンでの全員浮かれハッピー野郎からのジェークイズの登場すごく好き。またお前か!って感じだし結局彼にとっては鬱いでいる事が当たり前でむしろその方が幸せなのかもしれないシニカルに生きる。

シニカル、といえば!ギャニミードがオーランドーを試して恋をしている時季節は春〜結婚したら冬〜っていう台詞も好きで決して幸せなだけじゃない未来の暗示。初日よりも21日に見た時はテンポがよく、というか台詞が馴染んで言い回しがひとつひとつ変化していてとても良かった。ロザリンドへの恋を語るオーランドーを茶化して韻を踏む言葉遊びのシーンもとても好き。あとタッチストーンの独特感というか台詞を聞かせるのがとてもうまいなぁと思う。長くて難しい言い回しが多いからこの台詞を”聞かせる”のはとても大変だなと思う。それを飽きずに聞かせられる役者さんはすごい。

と、ここまで普通に感想書いたところで、やっぱりシルヴィアス可愛いってなったのでシルヴィアス可愛い。コリンに本当の恋をした事がないんだ!って力説するところ、フィービーにどうして私を好きになるの?鬱陶しいって言われてる時の恋する男の顔(ちょっとうっとりした顔でフィービー大好きって感じの)もとても好きだし可哀想で可愛い。シェイクスピア調の台詞を喋る平野良最高かな?ってなりますよね、あの抑揚のつけ方とか聞かせ方がやっぱりいい。ギャニミードに可哀想な羊飼い、いい男じゃないか?って紹介される時のポーズが明らかにインスタっぽいポーズ(カレンダー撮影時にもやってたやつ)で中の人がにじみ出ている感じがあった…(笑)あと初日から比べて大分調子に乗っている(笑)勿論、情けない可哀想な羊飼いであるからそういうところはそうなんだけど…表情がころころ変わるし調子に乗るし、きっちり笑いを誘って行くし、とても良い。あとシルヴィアスだけじゃないけど顔芸が面白い。多分感情表現はちょっとオーバーに、くらいのことを言われているのかなと思った。子羊ちゃんたち置いてっちゃってごめんね、するのも可愛い。たまに落ち込んであのカート(?)にもたれてる時に子羊ちゃんに慰められてるのも可愛い。笑われてるけど。多分意味も分からずにただ可笑しくて笑っているんだけどその無邪気さが一層残酷。子羊ちゃんたちが最後天使になって喜びをもたらす使者になるけどあの何言ってるのか自分で分かってないなりにそれらしく喋るのが本当に可愛い。それこそ天使の口を借りてかみさま(みたいな何か)がしゃべっている感じがより一層出るなと。あと1幕のレフェリー役も好きなんだけど貴族役の伊礼さんとめっちゃ喋ってて何喋ってるのか気になる。しっかりレフェリーやってるしたまに攻撃食らうし最後の担架に運ばれていくまでちゃんと誘導するし本役じゃないけどとても好きレフェリー!

あとアミアンズの伊礼さんの贅沢使い…いやお歌がいっぱい聞けてとても良いです…台詞がほとんどないアミアンズが21日のマチネ回で回転扉にぶつかったオリヴァーを見て本気でぶつかったね?ってリアクションしていて面白かったです。アドリブというか素のリアクションというか(笑)

あとオリヴァーがとても好きで、最初の方の冷酷非道な長兄からの、公爵から脅されて何もかも奪われさらには命の危機に晒される、森に入り幻覚を見て改心した後、一目惚れをして結婚する。ドラマチックすぎる(笑)オリヴァーが森に入ってぼろぼろになっている時に口に何か含まされていてあれのせいでラリってライオンと戦うオーランドーの幻覚を見ていると聞いてなるほど!と思った。あの1人再現シーンが大好きで。結局オーランドーは森でお兄さんを拾っただけで怪我ではなく刺青だし、あの1人再現シーンがラリった末の幻覚だと思うと大分面白い。

ちょこっとだけ歌う入江さんのお歌も素晴らしくてもっと聞きたいなぁと思うとか橋本さんも普段はミュージカル方面でご活躍されてる方なのだしお歌が聞きたいなとかキャスト的にもとても楽しい。初日よりも2回目が大分楽しかったなと思うのと、シェイクスピアの台詞はやっぱり面白いなと思った、As you like it. 

 

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初日に行ったの初めてだったから地味に感動した。